小説・日本参戦8

 中国空母「遼寧」を主力とする艦艇20隻が旅順港を離れたのは、習近平による宣戦布告から、一週間後だった。艦艇の中には上陸用舟艇を収納する船が30隻。空からの部隊を降下させる輸送機が30機と事実にに大がかりのものだった。部隊は次から次へと港を離れ、兵士の数はおよそ30万人を越えていた。

 日本はP-1哨戒機を、多数、飛ばして中国艦艇の様子をつぶさに伝えていた。日本は海上自衛隊イージス艦、「こんごう」を派遣するとともに、空母「いずも」ほか、護衛艦「あさひ」、「はつしま」ほか数隻の艦艇を日本海に展開した。第十一潜水艦部隊では、新鋭艦の「たいげい」ほか数隻。特に「たいげい」はリチウムイオンで走行し、レーダーシステムに優れ、対艦ミサイルであるハープーンも発射可能という優れた機能を持つ。そのほか、司令部は第一潜水艦部隊の出撃を命じていた。

 一触即発の事態まで12時間を切っていた。

 陸上自衛隊は、中国軍の上陸先を南西諸島ではなく、九州博多と推測していた。沖縄ではその後の展開に時間がとられる。しかし博多ではなく、能登という見方もあった。地震で壊滅した海岸は平坦で上陸には最適だったからだ。自衛隊の首脳は、哨戒機から送られてくる中国海軍の動きをデータからそう読み取っていた。

 陸上自衛隊の主だった部隊は能登周辺に展開した。先島諸島に、配備されていた90式戦車、10式戦車も急遽移動された。部隊も各地から陸続と集まり、その数10万人となった。エリート部隊でもある習志野の第一空挺部隊、通称落下傘部隊も準備万端だった。