小説・日本参戦19

その部屋に入った時、驚愕のため声も出なかった。本棚には雑誌「GUN」のシリーズや銃に関する本が目白押しだった。さらに驚いたのは、壁を埋め尽くさんばかりに掛けられた小銃の数々。友人はいった。

「これまで、この部屋には誰も入れたことがないんだ。だって、兵器マニアならまだしも戦争好きなんて見られるのはいやだからね」

ハンドルを強く握る男は前方に注意を集めようと努力しつつ、大輔に話しかけた。

 「あのう、軍曹殿、狙撃銃による射撃は、制式銃とはだいぶ違いますか」「ああ、全くな。何しろ一キロ近い距離の標的を一発づつ込めて撃つんだからな。」「何が一番違うのですか」

大輔は突然、何の脈絡もなく彼の名を思い出した。そうだ、長谷川二等兵だ。そのあまりに緊張した顔が、作家の池波正太郎が書いた「鬼平犯科帳」に出てくる新米の火付盗賊改め方の新人の描写に重なったのだ。そこから鬼平こと鬼の平蔵の異名をとる主人公の名へと繋がった。そして火付盗賊改めかた長官(おかしら)の名が、長谷川平蔵であったのである。この年で記憶が危うくなるなんて。これも戦争のストレスの一つかもしれない。

 その時、大輔は狙撃銃とは何かという疑問より、そもそも狙撃手とは何だろうか、と真剣に考えはじめた。

 狙撃手が出てくる映画でまず印象に強く残っているのは、1964年の11月にダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディの裏にある陰謀を描いた「ダラスの暑い日」。

 この映画では、実際にケネディが暗殺された時の映像が使われている。この本当の映像は、ケネディが暗殺された11月23日に近くなると全米の局が放映するらしい。  大輔も何度か目にしたことがある。

 次に思い出したのは、アメリカ映画ではないが、フランスのドゴール大統領暗殺失敗を描いたフレッド・ジンネマン監督の「ジャッカルの日」だ。主人公は暗殺者である。しかし、いわば狙撃手は暗殺者とは全く違う。暗殺は犯罪だが、戦場で敵の兵士、あるいはテロリストを殺すのは犯罪じゃない。狙撃が味方を救うことをうまく描いたのが俳優で監督でもあるクリント・イーストウッドだった。1993年には「許されざる者」でゴールデングローブ賞アカデミー賞双方の監督賞を。2005年には「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー監督賞を再度受賞している。クリントは「アメリカンスナイパー」で狙撃者の活躍と苦悩を描いた。

突然の怒りが彼を襲った。今まで、護憲を声高に言い続けてきたいわゆる左翼系インテリ、知識人は、この中国の侵攻をどう見ているのか、大輔は聞いてみたかった。しかしほとんどの護憲派はどこかへ身を隠してしまった。

 また、映画へと彼の想念は戻った、浪人中、交通費とは別に、1000円の小遣いを、父に内緒で母はそっとくれた。母も映画好きだった。大輔の気持ちが痛いほどわかっていたのだろう。生まれて初めて自分の金(いや父の稼いだ金だ)で一人で見に行ったのは、池袋の新文芸坐だ。

 母からは今と同じ場所にあった文芸坐について聞いたことがあった、

 「勤めた会社の初任給ではじめて文芸坐(当時は新の字がついていなかった)へ行ったのね。汚い映画館だったわねえ。男の客はタバコをすぱすぱ吸うでしょ。煙ってスクリーンが良く見えないことがあったくらいよ』「その時はどんな映画を見たのさ」「西部劇とギャング物の二本立て」「へえ、母さんって、意外にハードボイルドだったんだね」「そんなことない、誰かと一緒じゃないと喫茶店にも入れないくらいだったもの。それが、映画館の切符を切ってもらったときその時、妙な予感がしたのね。ギャング物はともかく、西部劇は私の人生に決定的な何かを及ぼす凄い作品に違いない、ということをね。それはラストシーンでよく解ったわ」と母はいって、はるか昔を思い出すようにいい、目をすがめた。「タイトルは?」と大輔。

 母は、まるで少女が誕生日にもらったオルゴールを大事に扱い、そのオルゴールの上でくるくると踊るバレリーナに話しかけた時を思い出すかのような口調でタイトルを教えてくれた。

 大輔は浪人中の今、何より楽しみなのが映画だった。初めて一人で行くのはすごく胸が高鳴る。なんだか少し大人になったような気分と行ったらいいか。どんな映画をやっているのか大輔はあまり気にしていなかった。洋画であれば何でもいいが、ゴダールトリュフォーは勘弁してほしい。幸いなことに新文芸坐にはアメリカのエンターテインメント映画がかかることが多い。今日は何だろう。時間は午前10時近い。パチンコのマルハンに並ぶ客が映画館へ行くエレベーターの場所を塞いだうえ、壁に掛けられた映画のタイトルもよく見えない。

人の間を縫うようにして歩き、上映される映画のタイトルを見た時、大輔は驚愕し、喘いだ。こんな、こんなことって、人生においてそうあるものじゃないだろう。これは偶然?それともはたして神のいたずらか?

 母が初任給を得て一人でしかも初めて見た映画と、大輔が母から金をもらってはじめてひとりで見ようとしていた映画はおなじものだった。壁にかかっていたタイトルは母がそっと囁いたものだったのである。

タイトルは「明日に向かって撃て!」