小説・日本参戦21

大輔は戦争のさなかにある自分に戻った。車の中は少し息苦しい。あと15分もすれば、前線の指令本部に着くだろう。母があの映画を運命的にとらえたのは、今ならわかるような気がする。

 「俺は戦闘中に、あの映画の二人のようにハチの巣になって死ぬのだろうか」

戦死を知った母の気持ちを忖度するのは難しかった。まだ結婚もしていなければ、子供もいない。自分の子供ってどんな感じなのだろう?血がつながっているから両親への自分の気持ちはわかっているつもりだ。でも自分の子供の存在はどのようなものなのだろう。

分身? それとも親友? 親友なら聡介がいる。でも二人の関係は同等だ。子供は違うはずだ。もっと弱く、脆くて、そして儚いもの。それが一番しっくりするように思う。最高に愛する相手、真理子と同等に愛せる存在を大輔は想像することができなかった。

 本部のあるビルの名前はわからなかったが広いコンコースがあった。そこには戦車が思い思いの方向に止まっていた。その姿を見た時、大輔の胃が軽く痙攣した。最新鋭の「10式」の車体は、灰燼の中を通って来たかのように汚れていた。数か所に、被弾した痕も見える。脇では兵士たちがタバコを吸っていた。喫煙率は戦争が始まって飛躍的に高くなった。それぞれのストレスをタバコで紛らわすしかないのだ。お互いに何か話してはいたが笑顔はなかった。

彼らの脇を軽装甲機動車に乗った大輔は、自分の座る座席の脇に置いた、狙撃用のレミントン700-М3が眠るケースを右手の指でそっとなぞった。そして大輔はおもった。モーツアルトを演奏する前に、ストラディバリウスのケースを、愛撫するバイオリニストに似ている、と。

 いよいよ本番が迫ってきた。

 

小説・日本参戦20

明日に向かって撃て!」の監督は、ジョージ・ロイ・ヒル。ダブル主演の二人は「ロバート・レッドフォード」と「ポール・ニューマン」だった。アメリカ西部の開拓時代、二人は銀行を次々と襲う。しかし、やがて、多数の保安官に追われ、ボリビアに逃げ、そこでも小さな銀行を襲い続ける。ついにボリビアの軍隊は二人を包囲する。銃弾が降り続ける中、建物の中に逃げ込んだ二人。ブッチがいう「今度はオーストラリアにしよう」撃たれたところからの出血を我慢するサンダンスは「オーストラリアっていうのはそんなにいいところなのか」「そりゃあ、おめえ、女もいいし、食い物だって旨い。何よりでっかい銀行が襲い放題だ」そいつはいい、とブッチはいうが、血塗れの二人の余命はあとわずかだ。そうして、ピストルに弾を込め直して、二人は軍隊が取り囲む広場に躍り出て両手に持った拳銃を発射する。その瞬間に、画面はストップモーションとなり、画面はセピア色に輝くのだ。

小説・日本参戦19

その部屋に入った時、驚愕のため声も出なかった。本棚には雑誌「GUN」のシリーズや銃に関する本が目白押しだった。さらに驚いたのは、壁を埋め尽くさんばかりに掛けられた小銃の数々。友人はいった。

「これまで、この部屋には誰も入れたことがないんだ。だって、兵器マニアならまだしも戦争好きなんて見られるのはいやだからね」

ハンドルを強く握る男は前方に注意を集めようと努力しつつ、大輔に話しかけた。

 「あのう、軍曹殿、狙撃銃による射撃は、制式銃とはだいぶ違いますか」「ああ、全くな。何しろ一キロ近い距離の標的を一発づつ込めて撃つんだからな。」「何が一番違うのですか」

大輔は突然、何の脈絡もなく彼の名を思い出した。そうだ、長谷川二等兵だ。そのあまりに緊張した顔が、作家の池波正太郎が書いた「鬼平犯科帳」に出てくる新米の火付盗賊改め方の新人の描写に重なったのだ。そこから鬼平こと鬼の平蔵の異名をとる主人公の名へと繋がった。そして火付盗賊改めかた長官(おかしら)の名が、長谷川平蔵であったのである。この年で記憶が危うくなるなんて。これも戦争のストレスの一つかもしれない。

 その時、大輔は狙撃銃とは何かという疑問より、そもそも狙撃手とは何だろうか、と真剣に考えはじめた。

 狙撃手が出てくる映画でまず印象に強く残っているのは、1964年の11月にダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディの裏にある陰謀を描いた「ダラスの暑い日」。

 この映画では、実際にケネディが暗殺された時の映像が使われている。この本当の映像は、ケネディが暗殺された11月23日に近くなると全米の局が放映するらしい。  大輔も何度か目にしたことがある。

 次に思い出したのは、アメリカ映画ではないが、フランスのドゴール大統領暗殺失敗を描いたフレッド・ジンネマン監督の「ジャッカルの日」だ。主人公は暗殺者である。しかし、いわば狙撃手は暗殺者とは全く違う。暗殺は犯罪だが、戦場で敵の兵士、あるいはテロリストを殺すのは犯罪じゃない。狙撃が味方を救うことをうまく描いたのが俳優で監督でもあるクリント・イーストウッドだった。1993年には「許されざる者」でゴールデングローブ賞アカデミー賞双方の監督賞を。2005年には「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー監督賞を再度受賞している。クリントは「アメリカンスナイパー」で狙撃者の活躍と苦悩を描いた。

突然の怒りが彼を襲った。今まで、護憲を声高に言い続けてきたいわゆる左翼系インテリ、知識人は、この中国の侵攻をどう見ているのか、大輔は聞いてみたかった。しかしほとんどの護憲派はどこかへ身を隠してしまった。

 また、映画へと彼の想念は戻った、浪人中、交通費とは別に、1000円の小遣いを、父に内緒で母はそっとくれた。母も映画好きだった。大輔の気持ちが痛いほどわかっていたのだろう。生まれて初めて自分の金(いや父の稼いだ金だ)で一人で見に行ったのは、池袋の新文芸坐だ。

 母からは今と同じ場所にあった文芸坐について聞いたことがあった、

 「勤めた会社の初任給ではじめて文芸坐(当時は新の字がついていなかった)へ行ったのね。汚い映画館だったわねえ。男の客はタバコをすぱすぱ吸うでしょ。煙ってスクリーンが良く見えないことがあったくらいよ』「その時はどんな映画を見たのさ」「西部劇とギャング物の二本立て」「へえ、母さんって、意外にハードボイルドだったんだね」「そんなことない、誰かと一緒じゃないと喫茶店にも入れないくらいだったもの。それが、映画館の切符を切ってもらったときその時、妙な予感がしたのね。ギャング物はともかく、西部劇は私の人生に決定的な何かを及ぼす凄い作品に違いない、ということをね。それはラストシーンでよく解ったわ」と母はいって、はるか昔を思い出すようにいい、目をすがめた。「タイトルは?」と大輔。

 母は、まるで少女が誕生日にもらったオルゴールを大事に扱い、そのオルゴールの上でくるくると踊るバレリーナに話しかけた時を思い出すかのような口調でタイトルを教えてくれた。

 大輔は浪人中の今、何より楽しみなのが映画だった。初めて一人で行くのはすごく胸が高鳴る。なんだか少し大人になったような気分と行ったらいいか。どんな映画をやっているのか大輔はあまり気にしていなかった。洋画であれば何でもいいが、ゴダールトリュフォーは勘弁してほしい。幸いなことに新文芸坐にはアメリカのエンターテインメント映画がかかることが多い。今日は何だろう。時間は午前10時近い。パチンコのマルハンに並ぶ客が映画館へ行くエレベーターの場所を塞いだうえ、壁に掛けられた映画のタイトルもよく見えない。

人の間を縫うようにして歩き、上映される映画のタイトルを見た時、大輔は驚愕し、喘いだ。こんな、こんなことって、人生においてそうあるものじゃないだろう。これは偶然?それともはたして神のいたずらか?

 母が初任給を得て一人でしかも初めて見た映画と、大輔が母から金をもらってはじめてひとりで見ようとしていた映画はおなじものだった。壁にかかっていたタイトルは母がそっと囁いたものだったのである。

タイトルは「明日に向かって撃て!」

小説・日本参戦18

前橋市に向かう複数の道路は一般車両の通行が遮断され、信号機は、オールグリーンだった。車両は、時速50キロを維持し、一時間足らずで前線本部に到着した。近くに広い運動公園があり、戦車やそれを搭載する50トントラックを含む、軍用車両が集められた。

 本部のビルに入ると直ぐにブリーフィングが開かれた。そこでは、戦車群や補給車両のほか、兵員輸送車両ばかりではなく、大輔が乗り込むことになる軽装甲機動車も含まれていた。大輔が車体後部で半覚醒でいると助手席の上官がいった。言葉だけが曖昧に大輔の耳に届いた。

「あいつ、よくこんな時に眠れるな。よほど肝の座った奴と見える」大輔は完全に目を覚ますと大きな欠伸をした。

 運転をしていた男のハンドルを握る手が小刻みに震えている。「自分は実際の戦闘経験は全くありません」そんな男に上官は励ますように言う。「俺だって初めてさ。でも、敵前でぶるっていたら、やられるのは目に見えている。訓練どうりやってればいいんだ。ビルへの侵入のやり方、銃の取り扱い方、味方の援護方法、小銃の訓練は覚えているよな」男は黙ってうなずいた。

 運転する若い男。大輔より一つか二つしか違いないだろう。狙撃の能力のおかげで大輔は異例ともいえる特進。軍曹となったが、運転する男の名を大輔は何とか思い出そうとしていた。彼の家族のことを聞こうと思っていたのだ。名前を忘れるなんて俺はどうかしている。一方、当のハンドルを握る男は、全く別のことを考えて居た。小銃というものを今までの人生の中で見たことも、ましてや触ったことすらあるわけではなかった。高校時代モデルガンに夢中になっていた友人の部屋を訪れたことがあった。

 

小説・日本参戦17

特別狙撃班に配属された大輔は、敵が前橋市に到達したことを知った。すでに、軍曹に昇進していた彼は、防衛省本部での会議で明らかにされたのだ。会議は長引いた。結局、前橋市内の敵から10キロの地点にあるビルに前線本部が設置されることになった。長い車列が防衛省から出発した。その軽装甲軌道車の二台目に乗った大輔は、防衛省の中庭を見た。そこには台車に乗った迎撃用ミサイル、パトリオットが上空を睨みつけている。防衛省パトリオットを国会議事堂、首相官邸周辺に配備した。

 そして日本にとって最も大事な人物がいる皇居にも。天皇は日本にとってかけがえのない象徴だ。先の大戦で日本が講和を受け入れる際の必須の条件は「国体の護持」だった。「国体の護持」とはなにか?それは、天皇制の存続だ。天皇を悪くいう人は、あの戦場での劣悪な行為の数々や、国内にいる圧倒的な数の国民は(一部には陰ながら天皇批判した非国民もいたかもしれない)天皇を敬い、深く愛していたのである。

小説・日本参戦16

中国軍は、進撃を続けた。そうして、東京からわずか50キロの群馬県前橋市の近くまで迫ったのだ。福井県からは複数のルートをたどった。時間はそう長くはかからないと、指揮官は甘く考えていた。ところが福井県から東京までわずか50キロの群馬県前橋市に到着するのに一週間もかかってしまったのである。司令官が頭を痛めたのは自衛隊の戦闘機の飛来だった。ひっきりなしに静岡県小松基地からやってくるFー15とFー35A。特にFー35Aは最新鋭機であり高いステルス性能を持っている。マッハ1・6のスピードも脅威だった。空対空レーダーシステムを備えた上に、25ミリ機関砲ならびに赤外線誘導ミサイルまで装備している。味方の垂直離着陸戦闘機であるJー18やアクティブ電子走査アレイをもつ最新鋭の戦闘機J-20と空中戦を行ったが、劣勢は否めなかった。

 

小説・日本参戦15

いくら、日米安保条約が発動されたとはいえ、自衛隊として手を拱いているわけにはいかない。このままでは、東京が危ない。首相は、宮中に参内し、天皇陛下に安全な場所、例えば、北海道や京都へ避難することを申し出た。

 しかし、陛下はこういったのである。「わたくしは、日本国民とともにある。国民の皆さんはほかに逃げる場がないではありませんか。わたくしは皇居を離れるつもりはありません」

 これは、宮内庁の内部からリークされた。

 翌日の、テレビ、新聞で、この陛下の発言は大々的に報じられた。このお言葉は、国民の意識を一変させた。それまで、親中を表明していた政治家や、財界人、一般の人までも心をひとつにする効果があった。あの、赤旗新聞でさえ例外ではなかった。