小説・日本参戦14

アメリカの軍事予算は、日本円にして127兆円にのぼる。人的にも、陸軍47万、海軍40万、空軍37万人という大規模なものだ。世界の警察官たる所以はここにある。

 日本にある米軍基地は、三沢、横田をはじめとして130か所にある。

 大統領は横須賀を母港とする第七艦隊の派遣を命じた。第七艦隊には、原子力空母「ロナルドレーガン」空母「レキシントン」「ヨークタウン」「ジェラルド・R・フォード」のほか、超弩級戦艦「ニューヨーク」「ネバダ」さらに、イージス艦2隻に加え原潜2隻、補給艦多数で構成される。

 小規模な国ならこれだけで制圧できるだろう。さらに、沖縄、嘉手納基地にはBー52戦略爆撃機もいる。B-52で中国の基地を次々に破壊すると共に、北京に圧力をかけることも可能だ。首相は、大統領との電話会談を終え、はじめて安堵し、微笑んだ。そうして、習近平の顔色が見たい、と思ったのである。

 

小説・日本参戦13

 大輔は特別狙撃犯に配属された。この間も中国陸軍はじわじわと南下していた。

 中国旅順港からは、巡洋艦「青島」「深圳」のほか、駆逐艦「丹東」「昭通」に加え、原子力空母「普級」をはじめとする多数の艦船が日本を目指していた。輸送船の数も普通ではなかった。輸送船には「99式戦車」が積載されていた。「99式」はレーダー誘導兵器が搭載されている。中国軍部隊は東京まで100キロの高崎地点まで侵攻していた。小松基地や宮城、新潟からは連日、Pー3C対潜哨戒機が出動した。同じく、小松や、ほかの基地からは、戦闘機であるF16やF15が迎撃した。しかし、あまりに、相手の火器は強力だった。迎撃ミサイルは充実しており、なす術がなかった。

 そうして、安康空軍基地から飛来した数機のH-6爆撃機によって、大阪はついに火の海になり、東京周辺にまで被害が出はじめた。

 事ここに至って、国会の承認を経て、首相は、アメリカ大統領に電話をかけた。

「大統領閣下、日米安保条約に乗っ取り、貴国の参戦をお願いする次第です。どうか、日本を救ってください」

 首相は、涙声で大統領に懇願した。大統領は、確信に満ちた口調でいった。

 「わかりました。永年、思いやり予算でやってくれていたのだから。友人を助けるのはアメリカにとって義務だ。共和党は、私が何とか説得しよう」

小説・日本参戦12

大輔はニュース速報に接し、ついに来るべきものが来たと感じた。

 やってきた真理子は「どうしたの大輔」といった。「いや、何でもない。俺は、志願して戦争に行くべきだろうか」「そう、大きな決断に迫られているのね。でも、大輔にはこの国を守って欲しい。私にはそれしかいえない」

 その夜、二人はいつになく燃えた。普段のセックスなら、避妊を心掛けるのだが、大輔は、生の真理子に接しかった。そうして、何度も愛し合った。朝、真理子が帰ると、大輔は、不意に、帰京を思いついたのだった。

 大輔が生まれたのは東京の浅草だが、父の父、つまり祖父が亡くなって大輔を除く家族は父の故郷である仙台に転居したのだ。

 祖父は、仙台で何代か続く刀の売買を営んでいた。大輔も何度か仙台に行ったとき、本物の刀剣を見せてもらったことがある。その中の逸品は、兼房という著名な刀鍛冶が作ったといわれる刀で八十八万円の値がついていた。これが安いのか、高いのか、刀剣に疎い大輔にはわからなかったが父の解説によると大した代物らしかった。父はいった

「大輔、兼房、特に二代目のものは数が少なく貴重な刀なんだ」

 そういって説明をしてくれた。

 兼房は、関鍛冶の棟梁というべき惣領職で兼房の代々は善定一門の代表として「惣領家」と呼ばれていた。つまり、刀鍛冶の頭領だったわけだ。室町時代、文明元年(1469年)清左衛門兼房と呼ばれた。当時流行った素早く抜ける片手抜き打ちに適した寸法の刀で、姿は腰ぞり、元身幅と先身幅の差のある平関を落としたいかにも切れる姿をしており、地金は板目肌に柾目肌と交え力強い地金を鍛え、波紋は匂い出来に沸のついた反りの目乱れ刃に、刀中足が入り覇気ある刀も焼き付いている。いかにも、良業者といえるらしい。兼房の短刀や、脇差は多少あるが刀の現存作は数空くなく、特に二代目兼房の刀は貴重だという。縁には池田家の揚羽蝶の家紋がはいり、はばきに家紋のついた江戸期の殿中拵えが持ち主の身分の高さを表している。あの美しい刀を思い描きながら大輔は仙台への家路についたのだった。

 大輔の突然の里帰りに皆、驚いたようだった。母の手料理を堪能した後、コーヒーを飲みながら、大輔はいった。

「おやじ、ちょっと話したいことがあるんだけど」

 父は黙って書斎に大輔を向かい入れた。棚にはずらりと並んだ書籍。背表紙を見ると、「日本滅亡論」のとなりに「日本国憲法」、さらに「日米安保について考える」などという平和主義者の父ならではの書もあった。

 いきなり大輔は切り出した。

 「おやじ、俺、志願しようと思っているんだけど」

 父は黙って大輔の顔をじっと見つめた。その目はなにかを語っていたが、大輔には読み取ることができなかった。そうして父は躊躇なくいったのだった。

 「男なら、後悔するような生き方はするべきじゃない。好きにしろ。そうして」といい、一拍おいて続けた。「この国を守ってくれ」と。

 そういうと大輔を置いて黙って書斎を出た。しばらくして戻ってきた父の手にはあの兼房が握られていた。そうして、大輔に差し出したのだ。「生きて帰ってこい」

 大輔は故郷を、後にし、一度、アパートに帰るとバットケースに兼房を入れて、池袋にある自衛隊の志願事務所を訪れた。様々な書類にサインする前に、制服姿の事務官がいろいろと聞いた。

 「君はまだ学生だね」「はい」その事務官はバットケースを不審な様子で見た。

 「それは何かね」

「日本刀です」「何だって!なぜそんなものを持ってきたんだ」

 大輔は父から譲り受けた経緯について説明した。事務官の目にみるみるうちに光るものが浮かんできた。涙を必死になって堪えているようだった。

「君の父上はもののふなんだね」

 「そうだと思います」

 大輔の目からも一つの涙がこぼれ落ちた。事務官は咳をひとつするといった。

 「動機は?」「この国を守りたいと思ったからです」

  「よかろう」

 「君は、二等兵になる。給与は18万4300円、税別だがね」

自衛隊は内規で、呼称を旧軍に戻し、国会でもそれは承認された。しかし、陸軍、海軍、空軍という呼び方は、否決されたが。

 一週間後、大輔は練馬駐屯地に配属された。訓練は通常六か月だが、現在の情勢を鑑みて二か月間に短縮された。訓練は、高校、大学のサッカー部に較べればさしたる苦痛ではなかった。あるとき、百メーター走が行われ、計測された。大輔の記録を見て教官は驚いた声を上げた。

「これは凄いな。11秒5だなんて。こんな記録、今までなかったぞ」

 大輔が最も楽しんだのは、射撃訓練だった。

 20式口径5・56ミリの制式銃を使って、300メーター先の標的を射抜くのだ。この銃は、豊和工業が持てる技術を結晶させ、さらに昇華させた世界に冠たる小銃だった。アメリカの有名なМ16と尊称とない明銃となって今に至っている。弾薬も5・56ミリ✖45ミリNĀTО弾と互換性がある。重量もМ16と同量の3500グラムと軽量だ。銃身長がМー16ノ999ミリより短い851ミリなので、ブッシュの中での取り回しにやや有利といえるだろう。この訓練で大輔は、抜群の成績を残し、狙撃班に抜擢された。

 ここでは口径、7・62ミリ×51ミリであるレミントンの700-М3をベースにした自衛隊初の対人狙撃銃М24SwSを使用する。SwSとは(Sniper weapon System)の事で、銃そのものと、固定倍率10倍のレオポルド社ウルトラМ3スコープ(照準器)に加え、ハリス社製バイポッドを一式としている。銃の全長は1092ミリ、銃身長420ミリ、重量は、4・7キロとやや重い。ちなみに価格は輸入のみで61万円だと軍曹から聞いた。性能からすれば安いもんだ、と彼はいった。この狙撃銃はボルトアクションで、一発ずつ装填され、5発の給弾が可能だ。

 有効射程は、800メーターであるが、訓練は500メーターで行われた。アメリカ海軍における命中精度のテストでは。撃たれた弾のすべてが、12センチ以内に集中した。しかしこのテストは、マシンに銃を固定して行われたものだ。ここに人という不確定要素が加わった時どうなるのか。

ここでも大輔は十名の候補者の中でも抜群の成績を残した。

 

 

 

小説・日本参戦11

日本の自衛官の総数は、155000人にしか過ぎない。即応自衛官は8000人ほどだ。とても、30万人の中国軍に太刀打ちできない。どれほど、ハイテクを駆使した優れた装備をもってしても、しょせん、蟷螂の斧である。

小説・日本参戦10

問題は、潜水艦、および、上陸用の艦艇を見逃したことだった。中国の主力艦隊はいわばおとりだったのだ。中国の主力艦隊は、博多に向かっていた。それは、哨戒機も確認している。自衛隊の幹部は、その主力艦隊の動きから博多上陸説に傾いた。

 その隙をついて、多くの艦船に、夥しい戦闘車両を満載し、輸送船に乗り込む多数の中国軍の兵士は、なんと福井に向かっていたのである。防衛相首脳は、完全に裏をかかれた。福井には原発がある。日本はそう易々と攻撃ないだろう。という読みが中国にはあったのだ。それに気づかなかったのは、失態といわれても致し方ない。上陸した中国兵の数は、二十万を優に越えていた。

小説・日本参戦9

 そして、ついに戦闘海域に達した。これを知った明治の歴史を研究する在野の学者の一人は、友人の一人にこう言ったのである。「再び日本海海戦が起こるとは思わなかったな」

 日本の各基地に駐機する航空自衛隊の、F16、F15戦闘機が飛来した。中国空軍Jー20の性能はFー15に比較をとらなかったが、いかんせん、空自のパイロットとの腕の差は歴然だった。中国空軍はなすすべもなく敗退した。制空権は、完全に日本のものだった。

 こうなると、海上自衛隊と中国海軍の戦いが勝負の決め手であった。

 まず、中国海軍の出鼻をくじいたのは「たいげい」だった。魚雷4発を「遼寧」に命中させ、大破させた。そのほか、ハープーンミサイルで七隻を撃沈。さらにそのほかの第一潜水群艦群の活躍も目覚ましかった。五隻の艦艇を沈め、応援に駆けつけた第二潜水艦群部隊とともに、ほとんどの中国海軍艦艇を海の藻屑とならしめたのである。