双極性障害の狂気5

理論だけの授業には身が入らなかった。だからほとんど出席しなかった。女とバイトに精を出していた。そのおかげで、見事に留年した。ある時、ふとしたことから、一人の無名な女優と出会った。しかし話を聞くうちに大変な人だとわかった。俳優養成学校として有名なニューヨークのアクターズスタジオを日本人の女として初めて出た人だとわかったのだ。アクターズスタジオは、(エデンの東)や(ジャイアンツ)のジェームス・ディーンや(七年目の浮気)(荒馬と女)のマリリン・モンロー、(波止場)(ゴッドファーザー)のマーロン・ブランド、(ハスラー)(武力脱獄)のポール・ニューマン、(大脱走)(ゲッタウエイ)のスティーヴ・マックイーンといった錚々たる顔ぶれを輩出している。彼女のセミプロ劇団を立ち上げた時、アクターズスタジオの理論を少し教わった。それは、役者というのは舞台の上で、あるいは画面の中で生活するものだ、ということだった。私は当時映画監督になる事を夢見ていたので様々な話がすごく参考になった。わたしの学業成績はほとんど可だったが、演出論だけが優だったのも彼女のお蔭である。

 話を戻そう。いよいよ一幕芝居が始まってk君は緊張しているようだった。然し5分も経たないうちにリラックスしていくのが私に分かった。彼は舞台の上で実際の自分として生活していた。まさしく、アクターズスタジオの理論そのままである。卑俗な言い方をすれば自然体なのである。むしろ、こちらのほうが緊張していくほどだった。彼には役者としての天分があったのかもしれない。しかし、自分以外の役をやるときもここまでできるとは私も保証しない。

 そして彼の言葉が一区切りついたところで私は立ち上がり、見ている人の前に行って背を向けた。そうして両手の人差し指と親指で四角を作り、それをレンズに見立ててこう叫んだのである「シーン143、OKです」

 見ていた人たちは最初は何が何やらわからなかったようだ。不気味な沈黙。次の瞬間、これは映画のワンシーンを撮っていたのだと理解すると、拍手と笑いの嵐だった。彼に心配するなといった私の作戦は見事成功したのである。