オウム真理教の闇1

 オウム真理教事件から多くの時間が経過した。平成7年、私は週刊現代の記者として、特別な形で参加した。今から考えてもあの事件には不可解なことが多い。これから書くことが、一部の人を激怒させるか、あるいは、私自身が国家権力に拘束されることも考えられなくもない。

 週刊現代では少人数ながら、オウム真理教取材の特別チームを発足させた。編集者のk、元赤旗新聞の記者であったジャーナリスト(以下は赤旗と呼ぶ)そして記者の私である。当時は、松本サリン事件がオウムの仕業と取りざされ、証拠はなかったが、オウムの仕業と皆、噂した。

 kがどのようにオウムを説得したのか定かではなかったが、オウムの荒木広報室長が取材のOKを出したのである。これは、あらゆるメディアの中でも、初めての事だった。1月の雪の降る日、私たちは、オウム真理教サティアン赤旗の運転する車で向かった。どのサティアンだったか覚えていないが、荒木はある部屋へ導いた。信者の一人がテレビカメラを担ぎ、その部屋で待っていた。荒木は「撮影する必要はないから」といいその信者を退出させた。

 その部屋で待っていたのは、白衣に身を包んだ男だった。のちに分かったことだが、医師の林郁夫だった。(彼は後にすべてのことを証言したその見返りに、死刑にならず、無期懲役となった)言ってみれば、日本で初めての司法取引だったかもしれない。いよいよ取材が始まった。赤旗が口を開いたがその第一声は「今日は寒いですね」だった。林は黙ってうなずいた。赤旗新聞の取材方法がそうなのか知らないが、15分が経過したが赤旗の無駄話が続いた。

 私は業を煮やして「サリンで米軍から攻撃されているらしいですね」というと林は身を乗り出して饒舌になった。そうして一枚の写真を取り出して見せた。それは、一機の飛行機が飛んでるもので、あまりに遠くからの撮影で、私には米軍機かどうかわからなかった。

 「ほら、このようにして空からサリンを撒いているのです。だからその被害を受けた患者もいます」

 私はこの取材の前、サリンについて本から少々学んでいた。サリンは空中で拡散するので地上に被害を及ぼすまずない。

 「被害者に会えますか」「それはできません」「なぜですか」「彼らは、症状が重く取材に耐えられないからです」

 私は質問の方向を変えた。「どんな治療をしているのですか?」「パム、とアトロピンの投与です」これは正しい。これでわかったのは、彼が、サリンの知識を豊富に持っていることだ。なぜ?という疑問が頭をよぎった。普通の内科医に、サリンの治療法を尋ねても、即座に答えられるものはいないだろう。それは彼は熟知していた。私たちの取材は2時間に及んだが、赤旗は的外れの質問を繰り返すばかりだった。

 その赤旗は帰りの車をのんびり走らせながら、こういった「僕は、彼らはサリンを持っていないと思うな」「亀山君はどう思う?」私は確信をこめて「彼らは間違いなくサリンを持っているでしょう」そういうと、赤旗はふんと鼻を鳴らした。