双極性障害の狂気3

今68歳になるが、58歳のとき、私は就労移行支援所に入所した。もちろん就職することなどということは、はなから考えていなかった。障害を持っているのだけれどと役所に相談したところ、出版関係は、そのほとんどがパソコンのスキルを要求していた。いやな時代になったものだと思っていたら就労相談員の男がこういう所でパソコンを勉強したらどうかといった。それは願ってもいないことだった。私は週六日そこに通いパソコンに慣れていった。勧められた検定にも応じず、様々な資格取得にも見向きもせず、ただ、終日タイピングしていた。それに慣れてくると今まで15年ほど書き溜めていた随筆をusbに入れていった。それは40編ほどになり、昨年の夏、電子出版であるキンドルの「私の部屋」として結実した。私は入所した当初から就職など考えてもいなかったのである。第一その年で就職可能な企業なぞあるわけがない。周りを観れば、皆私の別れたた息子よりまだ相当若い。

 ああいった支援所は勉強だけでなく、様々な病気への取り組み方や体力を維持するためのただの散歩の時間や、一般常識などにも触れられる。ただし、政治の話だけはご法度だった。それが、なぜかはわからない。東京都の許認可団体であるからとも思われる。今なら小池百合子学歴詐称についていいたいところだが、けっして許されないに違いない。

ある時、尖閣諸島について発言しようとしたら、それは後でね、とはぐらかされたこともある。つまり、一般教養としても時事問題に触れてはならないのだ。最も通所者のほとんどはアニメやアイドル歌手、スマホのゲームぐらいしか関心がない。だからたまに私が講師として様々な人物を紹介したこともある。作家の池井戸潤や同じくアメリカの作家でホラーの帝王と呼ばれたこともあるスティーヴン・キング(ホラー以外の作品も相当いいが)、落語の故・立川談志など。皆、日本語がわからないような顔をしていたけれども。だが、スティーブン・キングを日本の雑誌の書評で最初に紹介したのは僕だよというと俄然みんなの目が輝いてきた。その昔、小学館にgoroという雑誌があって、その書評欄を担当していた私は、担当編集者にキングの「呪われた町」を取り上げましょうといった。キングはそれ以前に「キャリー」が翻訳されていたが、全く無視されていた。「キャリー」が評判になったのは「呪われた町」の後、映画化されてからの事であった。担当は「呪われた町」をすでに読んでおり、書評候補に入れていたそうである。キングの貧しい生い立ちから現在に至るまでの成功譚の途中には珍しく質問が飛び出した。それは作家は若いほうがいいのか、歳をとってからのほうがいいのか、という難問中の難問だった。私はかつて某大手出版社の重役に自らの小説を託したことがある。その後、彼が言ったのは、「文芸の担当者がしきりに君の歳を聞きたがるんだな。なぜだろう」今の出版界では、若く編集者の言うことをよく聞き、顔もよく高身長で、作品は何とかペイできればデビューすることができる。作品の出来を重視する文藝春秋社や新潮社は別として。私は、先の質問に対して、年齢が上がれば、それだけいろいろなことを経験することになるから作家として充実したものになると思うという差しさわりのない答えを言った。若さや顔の良さなどを気にする出版社が結構少なくないことを知ってなんだこれは今どきの婚活だなと思った。