双極性障害の狂気1

 

 

私の双極性障害については「キチガイ病棟」に書いた。鬱の時は平和だが躁状態になると自分でも手がつけられない。「名医とは?」に登場する横山先生に「何だか空を飛べるような気がするんです」といい、先生を慌てさせたこともある。また別の躁状態の時は、自分の部屋は五階建てだがそこから飛び降りても無事に着陸できるような確信を持ったこともある。世の中に飛び降り自殺が後を絶たないが、その何パーセントは躁病、もしくは躁鬱病なのではないかと思ったりする。「あの人がねえ」なんていうのはその類なのではないか。

 また自分では何でもできるという万能感に支配される。五十も半ばになったころ、私はランニングを始めた。徐々に距離を伸ばし、一日15キロぐらいを毎日走るようになった。時には20キロという日があった。そして競技場に併設されているプールでも千メーターをランニングで使った筋肉をほぐすために泳いだ。そこでランニングの日を数日減らしバイクを漕ぐことにした。しかも、買った自転車は変速機のついていないピスト(販売店の店主はブレーキがついているのでピストではない)と言い張っていたが。そのバイクで都内を走り回った。走行距離計を見ると大体50キロ程度だった。遠かったのは板橋から羽田空港までだったと記憶する。

 羽田の交番に行って駐輪場がないのかと尋ねると「あなたどこから来たの?」「板橋から」というと呆れた顔をされ、「ここに自転車で来る人はいないからねえ」そこで、交番脇の金網にロックをかけた。自転車はランと同様アドレナリンがかなり分泌されるように思う。交通量の多い幹線道路を車の間を縫って走るのだからスリリングでもある。私は前を走るバイクを追い越したことは何度もあるが、抜かれたことは一度もない。若い人が土日のサイクリングでのんびり走るのと違って全力でペダルを踏む。常に危険と隣り合わせなので、大型対応のヘルメットをかぶっていた。その全面には日の丸、右サイドには海軍旗を大きく貼り付けていた。双方とも靖国神社で買ったものである。後ろから車が来るとちょっと振り向いてやる。メットの海軍旗に気づいたドライバーはこれはやばいと思って大きく迂回してくれる。私はこのまま60代まで頑張ってシニアのトライアスロンに出たいと考えていたが、それは鬱の訪れとともに夢に終ってしまった。

 次に躁状態に陥ったのは、東北の大震災の前年の事である。確か一月七日だったように思う。中米ハイチでマグニチュード7を越える大地震があった。その映像をテレビで見ていて頭の中でカチッとスイッチが鳴った。これは取材兼ボランティアとしてなんとしても行かねばなるまいと感じたのである。私は以前にも行ったことのある馴染みのエイチ・アイ・エスへ行きハイチ便を手配してくれるように頼んだ。宿泊場所はどこも取れず、いろいろ算段したあげく三月二十四日のJAL